踏切というと、
少し急かされる場所のように
思うことがあります。
カンカンカンと音が鳴って、
遮断機がゆっくり下りてくる。
急いでいるときには、
少しだけ足止めされたような
気持ちになります。
でも、
ふと気持ちに余裕があるとき、
踏切の前で待つ時間は
不思議と悪くありません。
目の前を電車が通り過ぎていく。
窓の向こうには、
知らない誰かの時間が
流れている。
通勤している人。
学校へ向かう人。
どこか遠くへ行く人。
ただ家に帰る人。
自分はその場に立ち止まっているだけなのに、
世界だけがゆっくり動いているように見えます。
踏切の音は、
最初は少し騒がしく聞こえます。
けれど、
聞いているうちに、
どこか懐かしい音にも
思えてきます。
子どもの頃に見た帰り道。
夕方のオレンジ色の空。
ランドセルを背負った子どもたち。
自転車を押して待っている人。
風に揺れる小さな草。
そんな何でもない景色の中に、
踏切はずっと立っています。
誰かを急がせるためではなく、
少しだけ立ち止まらせるために
あるようにも感じます。
踏切の前で待つ数十秒。
それは、
忙しい日常の中に突然できる
小さな休憩時間なのかもしれません。
電車が通り過ぎて、
音が少しずつ遠ざかる。
遮断機が上がる。
止まっていた人たちが、
またそれぞれの方向へ歩き出す。
その瞬間、
少しだけ時間が元に戻ったような
気がします。
踏切は、
ただ電車を通すための場所です。
けれど見方を変えると、
日常の中にある小さな境界線のようにも
思えます。
こちら側にいる自分。
向こう側へ行くために、
少しだけ待つ時間。
その短い待ち時間の中で、
空を見上げたり、
風を感じたり、
電車の音に耳を澄ませたりする。
そう考えると、
踏切は少し癒される場所なのかもしれません。
何かを止める場所ではなく、
心を少し整えてくれる場所。
今日もどこかの街角で、
踏切の音が鳴っています。
その音は、
急がなくてもいいよ、
と言っているようにも聞こえます。
立ち止まる時間にも、
ちゃんと意味がある。
そんなことを思わせてくれる踏切は、
少しだけやさしい存在なのかもしれません。
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