2026年10月10日土曜日

癒される和室と抹茶

癒される和室と抹茶

 障子の向こうから、やわらかな光が畳の上に落ちていました。

引き戸を開けた瞬間、ふわりと鼻をくすぐったのは、い草の青くてあたたかい香り。靴下ごしに伝わる畳の感触は、少しだけひんやりしていて、それでいて、どこか懐かしい。

「ああ、ここだ」

そんな言葉が、声にならないまま胸の奥に浮かびました。

六畳ほどの小さな和室です。床の間には、名前も知らない野の花が一輪。壁にかかった掛け軸の墨の色は、長い時間を過ごしてきた人のように、静かに落ち着いています。

テレビもありません。スマートフォンは、鞄の底に沈めてきました。

座布団に腰をおろすと、背中がすうっと伸びました。不思議なもので、和室に座ると、姿勢を正そうと思わなくても、自然と呼吸が深くなります。


しばらくして、お盆にのせて運ばれてきたのは、深い緑色の抹茶と、小さな和菓子でした。

手に取った茶碗は、ほんのり温かい。両手で包み込むと、じんわりと熱が手のひらに染みていきます。表面にはきめ細かな泡がふんわりと浮かび、湯気がゆらゆらと立ちのぼっていました。

ひと口、含んでみます。

最初にやってくるのは、まろやかな苦み。そのあとから、ほのかな甘みと、草原を思わせる清々しい香りが、ゆっくりと広がっていきます。喉をとおって、お腹のあたりがぽかぽかと温かくなる。

「苦いのに、どうしてこんなにほっとするんだろう」

そう思って、思わず小さく笑ってしまいました。

甘い和菓子をひと口。すると、抹茶の苦みがやさしく溶けて、口の中で一つの味にまとまります。この組み合わせを考えた昔の人は、きっと、疲れた誰かの肩を、そっと下ろしてあげたかったのかもしれません。


ふと気づくと、時間の流れ方が変わっていました。

いつもは「あれもやらなきゃ」「これも終わらせなきゃ」と、追いかけられるように過ぎていく時間が、ここでは、ゆっくりと、まあるく流れています。

庭の竹が風に揺れて、さわさわと音を立てる。遠くで、小鳥が短く鳴く。障子に映る木の影が、少しずつ、少しずつ、形を変えていく。

ただそれだけのことが、どうしてこんなに心地いいのでしょう。

何かを頑張らなくていい。誰かの役に立たなくてもいい。ただ座って、お茶を飲んで、光の移ろいを眺めている。その時間そのものが、ちゃんと自分への贈り物になっているような気がしました。


茶碗の底に残った最後のひと口を、ゆっくりと飲み干します。

空になった茶碗を畳の上にそっと置くと、こつん、と小さな音がしました。その音さえも、この部屋では静けさの一部になって、やさしく溶けていきます。

立ち上がるのが、少しだけ惜しい。

けれど、心は来たときよりも、ずっと軽くなっていました。肩のこわばりも、頭の中のざわめきも、湯気といっしょに、どこかへ昇っていったようです。


和室と抹茶。

特別なことは何もしていないのに、どうしてこんなに満たされるのでしょう。

それはきっと、畳の香りも、障子の光も、お茶のぬくもりも、すべてが「今ここにいていいよ」と、静かに教えてくれるから。

忙しい毎日の中で、ほんの少し立ち止まりたくなったとき。心がちょっと疲れているなと感じたとき。どうか、あなたにも、自分だけの静かな時間が訪れますように。

湯気の向こうに、やさしい午後の光が、いつまでも揺れていました。

ここまで読んで頂き、ありがとうございます

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