山あいの小さな道を歩いていると、ふいに水の音が聞こえてきた。
川の流れとは少し違う。
雨の音とも違う。
ころん、ころん、と木が水を受ける音。
ゆっくりと回る水車の音だった。
そこには、古い木造の水車小屋があった。
派手な観光地ではなく、村の端にひっそり残っているような場所だった。
屋根には少し苔がつき、木の壁は長い年月を受けて、やわらかい茶色になっていた。
水車は、急ぐこともなく、止まることもなく、ただ静かに回っていた。
水が落ちる。
木の羽根が受け止める。
重たそうに少し沈んで、また次の水を受ける。
その繰り返しを見ているだけで、胸の中のざわざわが少しずつ薄くなっていく気がした。
水車には、人を急かす感じがない。
もっと早く回ろうともしない。
誰かに見られるために動いているわけでもない。
ただ、流れてくる水に合わせて、自分の速さで回っている。
それがなんだか、とてもやさしく見えた。
近くの草むらでは、風に揺れる葉が小さく音を立てていた。
水路の水は透き通っていて、底の小石が見える。
ときどき水しぶきが光を受けて、白く小さく跳ねた。
空は明るすぎず、雲の間からやわらかな光が差していた。
その光が水車の濡れた木に当たると、古いものなのに、どこか生きているように見えた。
昔、この水車のまわりには、もっと人の声があったのかもしれない。
米を挽く音。
荷物を運ぶ足音。
小屋の前で立ち話をする声。
今はその多くが消えてしまって、残っているのは水の音と、木の回る音だけだった。
でも、寂しい感じはしなかった。
むしろ、静かに残っていることが、少しうれしかった。
何かを大きく変えなくてもいい。
目立たなくてもいい。
毎日同じ場所で、同じように回り続けるものがある。
それだけで、人の心は安心することがある。
忙しい日が続くと、つい自分だけが止まってはいけないような気持ちになる。
何かをしなければならない。
早く答えを出さなければならない。
けれど、水車はそんなことを言わない。
水が来れば回る。
水が弱ければ、ゆっくり回る。
それでも、ちゃんと回っている。
その姿を見ていると、自分の速度でいいのかもしれないと思えた。
少し立ち止まってもいい。
疲れた日は、ゆっくりでいい。
流れに逆らいすぎず、受け止められる分だけ受け止めればいい。
水車の音は、そんなふうに教えてくれているようだった。
帰り道、まだ耳の奥に水の音が残っていた。
ころん、ころん。
ゆっくり、ゆっくり。
小さな水車は、きっと明日も同じ場所で回っている。
誰かに急かされることなく、山の水を受けながら、静かに、やさしく、時間を刻んでいる。
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