夕立が上がったばかりの空気は、少しだけ土の匂いがした。
美咲は、濡れた縁側に座って、雲の切れ間から差し込む光をぼんやりと眺めていた。仕事の帰り道、突然の雨に降られて、傘もささずに走ったせいで、髪も服も少し湿っている。それでも、不思議と嫌な気分ではなかった。
むしろ、久しぶりに雨に濡れたことで、何かがすっと洗い流されたような、そんな感覚があった。
「あ」
思わず声が漏れた。
東の空、まだ灰色の雲が残るその向こうに、淡く色づいた弧が現れていた。最初は本当にうっすらとして、見間違いかと思うほどだったけれど、目を凝らすうちに、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫――七つの色がゆっくりと輪郭をはっきりさせていく。
虹だ。
子どもの頃は、虹を見つけるたびに大騒ぎしていた。近所の友達を呼んで、一緒に指をさして、「あっちの端はどこに繋がってるんだろうね」なんて話しながら、日が暮れるまで眺めていたこともあった。
いつからだろう。空を見上げることも忘れて、毎日を過ごすようになったのは。
美咲は縁側から立ち上がり、庭に出た。素足に触れる濡れた芝の感触が、思いのほか心地よい。空を見上げると、虹はさっきよりも少しだけ色が濃くなっていた。
風が吹くと、庭木の葉から水滴がぱらぱらと落ちて、光を受けてきらきらと輝く。まるで小さな虹のかけらが、そこら中に散らばっているみたいだった。
「きれいだね」
誰に言うでもなく呟いた言葉が、静かな夕方の空気に溶けていく。
しばらくそうして立っていると、隣の家の窓が開いて、小さな女の子が顔を出した。
「おねえちゃん、虹だよ!」
女の子は美咲に気づくと、嬉しそうに指をさした。美咲も釣られて笑顔になり、「本当だね、きれいだね」と答える。それだけのやり取りだったけれど、なんだか心があたたかくなった。
虹は、いつも長くは続かない。
気がつけば色は薄れ始め、雲の向こうへと溶けるように消えていく。それでも、その儚さがかえって美しく感じられるのは、きっと虹が「今しか見られないもの」だからなのだろう。
美咲は空を見上げたまま、小さく深呼吸をした。
明日もきっと、忙しい一日が待っている。それでも、今日この瞬間に見た虹のことを、しばらくは忘れないでいられる気がした。
完璧じゃなくていい。晴れの日も、雨の日も、その狭間にふっと現れる虹のような瞬間を、これからも大切に見つけていきたい――そんなことを、静かに思った夕暮れだった。
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