秋の夜が少しずつ長くなってきた頃、わたしは机の上に小さな新入りを迎えました。
手首を乗せるための、やわらかなマウス腕置きです。ひんやりしたジェルのクッションに、淡いグレーの布。箱から出してマウスの横に置いたとき、「これで肩こりが少しは楽になるかな」と、そのくらいの気持ちでした。
その様子を、部屋の隅からじっと見ていた存在がいました。
マンチカンのむぎです。
短い脚で、とことこ。床を歩くたびに、小さな足音がぽふぽふと響きます。むぎは椅子の脚をぐるりと回り、机の下でぴたりと止まり、それから「にゃ」と一度だけ鳴きました。
「ちょっと待ってね、むぎ。これは仕事の道具だから」
そう言ったのに、むぎは聞こえないふり。前足をそろえて座り、まんまるな瞳でマウス腕置きを見上げています。
マンチカンは脚が短いぶん、机の上へ飛び乗るのは少しだけ得意ではありません。それでもむぎは、椅子の座面へ、そこから肘掛けへ、そして机の端へと、一段ずつ確かめるように登ってきました。
登りきったときの、誇らしげな顔といったらありません。
「すごいね、ひとりで来られたんだ」
声をかけると、むぎはしっぽをゆるやかに揺らして、まっすぐ腕置きへ向かいました。
鼻先を近づけて、すんすん。前足でそっと、ちょん。ジェルの沈む感触に、耳がぴくりと動きます。もう一度、ちょん。今度は少し長く、ぎゅう。
そして、むぎは決めたようでした。
くるりと一度まわって、ふわりと腕置きの上に丸くなったのです。
「えっ、そこ、わたしの手を置く場所なんだけど」
むぎはあくびをひとつ。目を細めて、のどをごろごろと鳴らし始めました。その音が、静かな部屋の空気に溶けていきます。
わたしは苦笑いして、マウスから手を離しました。
画面の中では、まだ返していないメールが待っています。けれど、むぎの背中がゆっくり上下するのを見ていたら、急ぐ気持ちがほどけていきました。
窓の外では、虫の声が細く続いています。机のランプが、むぎの毛並みをあたたかい色に照らしていました。ジェルのクッションは、むぎの体温でほんのりぬるくなっているはずです。
腕置きを買った理由は、手首を休ませるため。
でも、本当に休まったのは、たぶんわたしの心のほうでした。
しばらくして、むぎの前足がぴくぴくと動きました。夢の中で、何かを追いかけているのでしょう。短い脚で、一生懸命に。
わたしはそっと指先を伸ばして、むぎの額をなでました。やわらかくて、あたたかくて、小さな命の重みが伝わってきます。
仕事は、もう少しあとでいいか。
そう思えた夜は、不思議と、いつもより呼吸が深くなるのでした。
マウス腕置きの上で眠る、マンチカンのむぎ。
今日も机の上には、静かで、やさしい時間が流れています。
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