秋の空は、どうしてあんなに高く見えるのでしょう。
ふと立ち寄った小学校の前で、足が止まりました。フェンスの向こうに広がる校庭が、雲ひとつない青空の下で、ゆったりと日なたぼっこをしているように見えたからです。
誰もいない校庭の、やさしい静けさ
平日の午後。授業中なのか、校庭にはほとんど人影がありません。
白線の引かれたトラックが、やわらかな光を浴びてまっすぐにのびています。土の色は少し乾いて、淡い茶色。その上を、風がさらさらと砂をなでながら通り過ぎていきます。
校庭の端には、大きな桜の木が立っていました。葉はところどころ赤や黄色に染まり、枝を揺らすたびに、一枚、また一枚と、ゆっくり地面に降りてきます。
夏のあいだは、あの葉っぱたちが濃い緑の影をつくって、子どもたちを日差しから守っていたのでしょう。今は少し色を変えて、空の青さに映えています。
どこか遠くから聞こえてくる音
静かな校庭にも、よく耳をすませると、いろいろな音があります。
校舎のどこかから聞こえる、リコーダーのぎこちない音色。窓の向こうの、先生の声と、ざわざわした教室の気配。遠くで鳴る、チャイムの余韻。
どれも小さな音なのに、秋の澄んだ空気に乗って、不思議なほどはっきり届きます。
自分が子どもだった頃、同じ音を聞いていたはずなのに、あの頃は気づかなかったな、と思いました。毎日が忙しくて、空を見上げる余裕なんてなかったのかもしれません。
鉄棒とブランコと、のびていく影
校庭の隅には、鉄棒とブランコがありました。
鉄棒は日差しを受けて、銀色にやさしく光っています。ブランコは風にほんの少しだけ揺れて、誰かが乗っていたあとの、あたたかい気配を残しているようでした。
地面にのびる影は、昼の終わりが近づくにつれて、少しずつ長くなっていきます。
鉄棒の影。ブランコの影。桜の木の影。
それぞれが校庭の上でゆっくりと重なって、まるで一枚の絵のようでした。
休み時間の歓声
しばらくすると、校舎からチャイムの音が響きました。
その瞬間、静かだった校庭が、ぱっと息を吹き返します。
扉が開いて、子どもたちが駆け出してくる。ボールを抱えて走る子、鉄棒に向かう子、友だちと笑い合いながら歩く子。
歓声が青空に吸い込まれていきます。
さっきまでの静けさも好きだったけれど、この賑やかさもまた、秋晴れの日の校庭にはよく似合います。子どもたちの笑い声は、空気までやわらかくしてくれるようでした。
秋晴れの日に思い出す、あの頃の自分
フェンスの外から眺めているだけなのに、不思議と心があたたかくなりました。
校庭で走り回った日のこと。友だちとドッジボールをして、夢中になって泥だらけになったこと。夕方のチャイムが鳴るまで、帰りたくないと思っていたこと。
大人になると、そんな時間はもう戻ってこないと思っていました。
でも、こうして秋晴れの日に校庭を眺めているだけで、あの頃の気持ちが、ほんの少しだけ戻ってくるのです。
心がほどける、ささやかな時間
忙しい毎日の中で、わざわざ「癒されに行こう」と思うことは、あまりありません。
けれど、ふと足を止めて空を見上げたとき、青空と校庭と子どもたちの声が、何も言わずに心をほぐしてくれることがあります。
特別な場所でなくていい。遠くへ出かけなくてもいい。
いつもの道の途中にある、小さな校庭。そこに、秋晴れの日だけの癒しが、ちゃんと待っていてくれました。
もしあなたの近くにも小学校があるなら、今度、ほんの少しだけ立ち止まってみてください。
高く澄んだ空の下で、校庭はきっと、あなたの心もやさしく迎えてくれるはずです。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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