朝、カーテンを開けると、窓の外は薄いグレーに染まっていた。
雨が降っている。夏の夕立のような勢いはなく、空からほどけた糸が、ゆっくり地面に降りてくるような雨だった。
「今日は、傘の日だね」
誰にともなくつぶやいて、湯気の立つマグカップを両手で包む。指先にじんわり伝わる温かさが、秋の朝にはちょうどいい。
昼すぎ、少しだけ雨が弱まった。
玄関の傘立てから、紺色の傘を一本抜く。柄の部分がひんやりとしていて、季節が一歩進んだことを教えてくれた。
外へ出ると、空気の匂いが違う。湿った土と、どこか甘い木の葉の香り。深く息を吸うと、胸の奥にたまっていた小さなざわめきが、すうっと静まっていく気がした。
近所の小道には、銀杏と紅葉の木が並んでいる。
見上げると、枝先にはまだ色づきかけの葉が揺れていた。その足もとには、雨に打たれて落ちた葉が、黄色や赤茶色のモザイクのように地面を埋めている。
濡れた落ち葉は、晴れた日とは違う顔をしていた。乾いていれば軽く舞い上がるのに、雨を含んだ葉はしっとりと道に寄り添い、色が深く、濃くなっている。
一歩踏み出すと、靴の底で「ぺたり」と小さな音がした。かさかさでも、ざくざくでもない、やわらかな音。
「この音、好きだな」
そう思った瞬間、自分の歩幅がいつもより小さくなっていることに気づいた。急ぐ理由なんて、今日はどこにもない。
傘に雨粒が当たる。
ぽん、ぽん、ぽつ、ぽん。
一定のようで、少しずつ違うリズム。耳を澄ませていると、頭の中でぐるぐる回っていた考えごとが、ひとつずつ雨音に溶けていく。
やらなきゃいけないこと。うまくいかなかったこと。ちょっと気にしていた誰かの言葉。
全部がなくなるわけじゃない。でも、雨の日の空気の中では、それらがほんの少し小さく、遠くに見えた。
道の途中に、古いベンチがある。
座面は濡れているから、今日は座れない。それでも、ベンチの上に一枚だけ、真っ赤な紅葉の葉が置かれているのが見えた。誰かが置いたわけでもない。風がそっと運んで、雨がそっと貼りつけたのだろう。
私は足を止めて、しばらくその一枚を眺めた。
何も特別なことは起きていない。けれど、「こんな景色に出会えた」というだけで、今日という日が少し好きになる。
家に戻るころには、雨はまたしとしとと強まっていた。
玄関で傘を閉じると、雫が一粒ずつ床に落ちていく。濡れた靴を揃えて、ほっと息をつく。
温かい飲み物をいれ直して、窓辺に座る。ガラスの向こうでは、雨のカーテンの中、落ち葉の道がしんと光っていた。
秋雨の日は、「何もしない自分」を許してくれる日だと思う。
晴れの日は、出かけなきゃ、何かしなきゃと、どこか背中を押される。でも雨の日は、世界のほうが少しスローダウンしてくれる。だから私たちも、深呼吸をして、立ち止まって、ゆっくり歩いていい。
もし今日、ちょっと疲れているなら。
雨の音を聞きながら、温かい飲み物をひと口。
窓の外の濡れた落ち葉に、ほんの少し目をやってみてください。
それだけで、心はちゃんと、やわらかさを取り戻してくれるはずです。
今日も一日、おつかれさまでした。
雨の夜が、あなたにとってやさしい時間になりますように。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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